あふれもの日記

日々浮かんでは消えていく思考を綴っていく

自分なりの基準と「知足」についての考え

最近、「自分が『これでOK』と思える水準を持ててないなぁ」と感じることがちょくちょくあったのですが、ふと「知足」という言葉と繋がったことを書いてみます。

 

自分の傾向

例えばお仕事。

このくらいの出来栄え、評価で「これでOK」と思えなくてついつい「完璧」主義に走ってしまう。(実際同僚何名かに指摘を受けた)

とは言え、自分が考える「完璧」なので、「何か抜け漏れがあるのではないか」という不安と常に戦っている感じがする。それに「完璧を求められているのか」というと大概そんなことはない。

例えば趣味。

素人の趣味なのに第一線の人と比べてしまい、自分の不出来さにモチベーションが保てなくなる。趣味なので下手の横好きでも自分なりに楽しめればいいと思うけど、なかなかそれができない。

 

「知足」について

知足(チソク)とは - コトバンクkotobank.jp

有名な言葉ですし、色々な解説が様々な分野からなされていますね。私は「分相応に満足しなさい」的な理解をしてました。

ホントにそうだなぁと思う反面、自分の行動に結び付けることが出来ないでいました。向上心や自分の欲との折り合いをどう付けるかっていうのもありますし。

 

「知足」の拡大解釈(?)

最近ふと「知足」をカジュアルな解釈が頭に浮かびました。

「今はこれでOKという自分なりの暫定基準を持てれば、色々な外部要因に振り回されることが減るから、心穏やかに過ごせるんじゃない?『今は』っていう基準だから柔軟に変えてもOK」

これが浮かんだ時、自分の中に「納得した」って感覚がありました。

「今はこれでOK」という暫定基準は、色々変化が激しい世を生きていくには何かと都合が良さそうに感じました。エンジニアリングの世界でも変化に「機敏であること(Be agile)」が重要視されていますしね。

極端な話、3分で「今はこれでOK」を変えても良いし、「今は」という区切りをつけることで向上心や欲との折り合いもつけやすい。何より自分の基準なので外的な要因を常に心配・不安に思わなくて良いというのが精神的にとても楽そうです。

「その時はそれでOKと思ったから」というある種の開き直りは、特に基準を高くなりがちな環境では有効なブレーキに感じます。

悪い点や至らない点は反省して改善する必要もあるかと思いますが、それは今後の自分の課題ととらえればいいことです。過去は変えられないですから。

 

考え事を減らして楽になる

複雑な環境で様々な情報に触れられるご時世、私はどうしても考え事が多くなりがちになります。

常に考え事をしてる状態はやはり疲れます。疲れるとさらに外部からの刺激に過敏になり、さらに考え事を増やしてしまいさらに疲れるという負のループにハマりがちな自分がいます。

マインドフルネスやエッセンシャル思考、アドラー心理学等は、そのような負のループを断ち切る有効なやり方として受け入れられているように感じています。

自分なりの「知足」の解釈もこれに加えて取り入れられるといいなと思いました。