「情熱と原動力と精神疾患」について
人間の行動に関するちょっとした考察
唐突ですが、ふと「人生には情熱(passion)が必要なんじゃないか?」と考えました。
生命の安全がある程度保障され寝食がある程度満たされているとき、人間の「生物としての仕事」は達成されている状態にあると考えます。
寿命が延び、社会が多様化して自分に様々な可能性を提示してくる現代において、「どう生きるか」ということを決定する重要な要素として「情熱」を見出しました。
- ○○が欲しい!
- ○○がしたい!
- ○○になりたい!
- ○○を食べたい!
- ○○に行きたい!
よくある欲望みたいなものを並べてみましたが、ただ考えるだけではこれらは「願望」で終わってしまいます。「願望」を現実のものにしようとするとき、様々な困難や面倒事に負けない「情熱」が必要になるように感じます。
「情熱」があれば何でも実現するほど世の中そんなに甘くなくて、実現のために必要な行動を起こし、実現するまで行動を継続する必要があります。これを支えるのが「原動力(motivation)」だと考えます。
原動力の源は色々あるように感じています。家族、自分の目標、好奇心などなど。
この辺もうちょっと考察するべきかと思うのですが、情熱を行動に変換するための一要素が原動力なのかな、と思っています。この辺「行動心理学」なんかが詳しいのかもしれませんが…。
「情熱」「原動力」は両輪の関係にあって、どちらを失っても自分の願望は達成されないままとなるでしょうし、お互いに影響しあうように感じます。どんなに原動力があっても情熱がなければ行動しないだろうし、行動したとしても違う方向に進んでしまいそうです。
精神疾患(精神障害)になって
ここからは自分の体験談ですが、うつ病(現在は双極性障害と診断)になって症状が重いとき、この情熱と原動力の両方がすっかり失われました。ホントに人生が迷子です。
そもそも心身共にエネルギーが低下した状態ですので、何もできない。自分で考えたり、インターネットを見たりしていると様々な「願望」が自分の中で芽生えては来ます。
でも情熱も原動力もないから願望が昇華されないままどんどん肥大していく。そして、何もできない自分を省みて絶望する。そんな負のループが延々と繰り返されました。
そんなときに危険なのが、以下の三つだと考えます。
- ギャンブルとクレーンゲーム
- 酒
- 浪費(ネットショッピングや、夜のお店など)
僕はこの三つ全部やりましたけど、これにハマっている間は自分が情熱を取り戻したように感じてました。
パチンコなら「次の大当たりを引いてやる」という情熱(?)を感じられましたし、ハンドル握ってるだけですから、原動力も大していらない。クレーンゲームも同じ構造です。
酒も陰鬱な気分を紛らわせてくれますし、何か気持ちが大きくなり「何かやってやろう」という情熱を空回りさせて、いろいろ良からぬことをやらかしました。
夜のお店なんかはチヤホヤしてくれるから最高でした。でも、すごいお金がかかるし、妻にがっつり怒られるのですが…。
長くなりましたけど、僕は2年間休職している間、失った情熱の「代わり」を求めてフラフラしていたように感じます。
精神疾患は「ココロの病気」ではなく「人生を壊す病魔」であると強く主張したいです。
僕はたまたま家族、特に妻、が理解してくれたからまだよかったですが、2年間休職とか離婚されてもおかしくないですからね…。
そして、「精神疾患を罹患したことがある」「精神障害がある」というだけで社会的に不利な立場に追い込まれる現実もあります。
自分がなりたくてなったわけじゃないのに、「問題児」扱いされるのは相当辛いです。
この一年間、転職先の労働環境はいつ働けなくなってもおかしくないほど僕にはつらいものでした。
それを何とか乗り切ったのは「自分が将来の自動車を作る」という情熱があったからこそのように思います。(それでも、結構症状悪化したけど)
公私問わず自分の将来につながるような情報を集めたり、ある程度無責任になることで自分を守ったり、という行動が結果として新しいキャリアを開いてくれました。
情熱と原動力を維持することは大変なエネルギーですし、願望を実現するのには時間がかかります。
やるときはやる。休む時は休む。
メリハリが肝要なようです(汗)