「しにたい気持ち」について
言いたいことも言えないこんな世の中じゃ、ポイズン。
原点
僕は明確に「しにたい」と考えた時期をはっきりと遡ることができる。
小学校4年生。10歳。ちょうどこのくらいの時期だった。
僕はいじめられていた。
今から思い返せば当時の僕は相当にクセの強い性格だったと感じるので、クラスメイトの反感を買うようなこともかなりあったのだと思う。
学校に行けば何をされるか分からない。
そんな僕に父は「男ならやり返せ」と叱咤し、母は「裁判の証拠にされたことをすべてノートに記せ」と諭した。
ついに僕はある日「学校に行きたくない」と両親に告げた。
母から返ってきた言葉をよく覚えている。
「ここで学校に行かなくなったら、いじめっ子に負けたことになるし、二度と学校に行けなくなるよ」
僕はしぶしぶ学校に行った。
そのころからマンションの柵から下をのぞいては死ねるかどうか考えたり、マンションの自室に首を吊る場所はないかと探すようになった。
本当にしにたかった。
でも、不登校になることもなく、環境にも恵まれ大学まで修了することができた。
晴れない気持ち
僕はそのころからずっと漠然としにたいと思いながら生きるという、生物としての矛盾を抱えながら生きてきた。
会社に行くときも、高いところを見上げながらしねる高さについて考えながら出社した日数も相当にあった。
実際にクレモナロープ(当時の2ちゃんねるではこのロープがおススメされていた)を探しに行ったこともある。しかし、どのロープも端っこが小さい輪になるように処理してあって、簡単には使えそうになかった。そして、体格が大柄だったので場所探しも難航した。
そんなことを会社のカウンセラーに話したら、産業医に筒抜けてそのまま休職を言い渡された。
そうか。しにたいと思うことはそんなに危険なのか、と妙に感心したものだった。
1年間の休養、1年間のリワークでの訓練を経て何とか復職する。
復職してから海外出張し、良い査定をもらい昇格もしたし、チームも与えてもらった。
でも、どうにもしにたいのである。
しななければならないような義務感と責任感のようなものがあるのかもしれない。
様々な気分転換を試したり、カウンセリングを受けたりしているが、どうにもしにたい気持ちにはあらがえないのである。
瀬戸際の日々
家庭を持ち、子供にも恵まれ、正社員として働いているし、住む場所もある。
恵まれているとは思う。
でも、心の中でしにたい気持ちが暴れるのを止めることができずに今日まで生きてきた。
生きてきたというよりしぬのを我慢してきたという方が僕の人生を正確に表現しているような気がする。
どんなに頑張っても、どんなに良い評価を周囲からもらっても、環境に恵まれても、僕が生きていていいと思えない。自分のことを拒否しているかのように。
何かのはずみで「僕はしななければいけない」という心の叫びが響きだす。
何とか薬で気持ちを鈍らせるけれど、それもいつまで続けられるか分からない。
今日を切り抜けたという安堵感にも似た感情を味わう暇もなく、次のしにたい気持ちがやってくるからだ。
まとめ
そんな僕だって心安らかに日々を過ごせるようになることを心から願ってやまない。
しかし、僕の行動や仕事、精神状態は真逆の方向に進んでしまう。
生きることを願う人がいるのになんて不謹慎な、と自分でも思う。
でも、そういう気持ちから離れられない。
そこに安息が待っているように見えてしまうからなのかもしれない。
生きることは大変なことだ。
僕がこの世に存在していい「根拠」を求めて今日も虚ろに天井を見つめている。