「善悪」について
またしても壮大なお題を選んでしまった…。
でも、これも僕の核となる考え方なのであえて取り上げることにしました。
万物はニュートラル
世の中には様々な物事や考え方、価値が存在します。
究極的な例は夜空の星々でしょう。人類が誕生するはるか昔から存在し、様々な過程を経て消えたり、ある状態に収まる。
星々の位置や活動はただそこにあるだけです。善も悪もない。
しかし、星々の動きを見て吉凶を占うことは古くから行われてきたし、今も朝の星占いに一喜一憂している方もいるでしょう。
自然現象や物事そのものは「ニュートラル」です。人間がそれに意味を持たせることによって善悪という属性が付与されるのです。
善悪は流転する
僕は自動車に関わるエンジニアです。自動車業界は自動運転に向けたうねりの中にいます。
自動運転に対する問題提起で必ずといっていいほどでてくるのが「トロッコ問題」です。
人間の善悪は、時間、属する集団、社会情勢置かれた状況等々(英語では"context")によって、いとも簡単にひっくり返ってしまうのです。
そう考えると「善く生きる」ということはとても難しいように感じます。
ぶれない軸を持つことが「善い」のか、状況に応じて柔軟に生きることが「善い」のか。
「悪」もまたしかりです。視点を変えれば変わってしまうかもしれません。
この複雑な社会において、「善悪を切り分ける」ことの難しさについて、じっくり考える必要があるように感じます。
最後に
昔、自動運転に関わる講演を聴講した際に、先程のトロッコ問題が話題になりました。
とある方の答えに感銘を受けました。
「自動運転がそのような究極の選択を迫られるような状況に陥らないようにすることをまず考えるべきです。」
「君子危うきに近寄らず」ですね。