あふれもの日記

日々浮かんでは消えていく思考を綴っていく

「善悪」について

またしても壮大なお題を選んでしまった…。

でも、これも僕の核となる考え方なのであえて取り上げることにしました。

万物はニュートラ

世の中には様々な物事や考え方、価値が存在します。

究極的な例は夜空の星々でしょう。人類が誕生するはるか昔から存在し、様々な過程を経て消えたり、ある状態に収まる。

星々の位置や活動はただそこにあるだけです。善も悪もない。

しかし、星々の動きを見て吉凶を占うことは古くから行われてきたし、今も朝の星占いに一喜一憂している方もいるでしょう。

自然現象や物事そのものは「ニュートラル」です。人間がそれに意味を持たせることによって善悪という属性が付与されるのです。

善悪は流転する

僕は自動車に関わるエンジニアです。自動車業界は自動運転に向けたうねりの中にいます。

自動運転に対する問題提起で必ずといっていいほどでてくるのが「トロッコ問題」です。

詳細はこちトロッコ問題 - Wikipedia

人間の善悪は、時間、属する集団、社会情勢置かれた状況等々(英語では"context")によって、いとも簡単にひっくり返ってしまうのです。

そう考えると「善く生きる」ということはとても難しいように感じます。

ぶれない軸を持つことが「善い」のか、状況に応じて柔軟に生きることが「善い」のか。

「悪」もまたしかりです。視点を変えれば変わってしまうかもしれません。

この複雑な社会において、「善悪を切り分ける」ことの難しさについて、じっくり考える必要があるように感じます。

最後に

昔、自動運転に関わる講演を聴講した際に、先程のトロッコ問題が話題になりました。

とある方の答えに感銘を受けました。

「自動運転がそのような究極の選択を迫られるような状況に陥らないようにすることをまず考えるべきです。」

 

「君子危うきに近寄らず」ですね。

「本質」について

ブログの最初の記事なのに大上段から振り下ろすような大仰なタイトル…。

でも、僕の核となる価値観なので最初を飾るに相応しいお題として選びました。

加藤一二三 九段は「本質」を見ていた

折りしも昨日、私が尊敬する加藤一二三先生が77歳にしてプロ生活の幕を下ろされました。その引退コメントをTwitterで拝見することができました。

私は将棋好きですが、コメント内の「将棋の本質を悟った」という表現には驚きました。さすが「神武以来の天才」と呼ばれた方。先生の頭の中には将棋の宇宙の深淵が見えていて、その果てを探究されていたのでしょうか。

"Happy"を自分で決める

 僕は「自分と自分に関わる人や物事がHappyな状態になること」を大切にしています。

「幸せ」ではなく"Happy"である理由は、「幸せ」という言葉に完全性を色濃く感じる一方で、"Happy"は「多少はマシ」というレベルも含むように感じたからです。あくまで僕の主観ですが…。

僕が3年前、酷いうつ状態で休職している最中にこの考え方を採用して以来、今のところ上手く機能しているように感じます。

そして、自分が主体となって”Happy”を選ぶ決断をするようになってから、結果を自分で受け入られるようになりました。過去の自分が今の自分のためにその時のベストを尽くして選んだ結果です。それが必ずしも今の自分が"Happy"ではない結果になったとしても。

ここで、「自分が主体となって」という部分が重要です。他者に自分の"Happy"を任せてしまうと、その他者に翻弄されてしまうからです。

「本質」とは「残ったもの」

うつ病を経験し、僕は「自分自身によるHappy追求に集中する」ことを決意しました。

集中するためには、何かを捨てなければならない。一つ一つ自分の中にあるものを捨てながら、日々"Happy"を実現するよう努力する。

余分な物事が切り落とされた「本質的な自分」が出来上がる日が来るのか、椎名林檎トータス松本の『目抜き通り』の冒頭のように「その答えは死によって齎される」のか。

日々精進です。

このブログを書くにあたって

このブログを始めるまでに、「ブログを書く」ということに挫折すること二回。

何となく始めてみては、何となくめんどくさくなって続かない感じ。

そう、「目的」がなかった。

三度目の正直ということで、今度はちゃんと目的をもって続けてみたい。

 

さて、肝心の目的はというと「物事の本質について分析し、考えた結果を文章にまとめること」。

目的の設定の理由は以下の通り。

①世の中の情報について精査し、分析していくことで、自分が生きていく上での本質的な物事をとらえたい。

②内省的な思考や分析により、自分のことをより深く理解し、自分が抱える生きづらさの尻尾をつかみたい。

③日頃、色々と思考してしまうことを文章にすることで、思考を手放せるようにしたい。

 

他者の閲覧や評価を気にせず、自分の考えたことをカタチにして手放せる場所として、ここに文章を長く綴っていけることを願います。