あふれもの日記

日々浮かんでは消えていく思考を綴っていく

「今こそ哲学じゃない?」と思うことについて

人工知能やロボットが盛んに取り上げられているのを見て感じていることをタイトルにしてみました。

はじめに

2000年代に入り、IT革命に始まり、IoTやらIndustry 4.0、機械学習ディープラーニング人工知能、自動運転などなど技術革新に関してネタが尽きない時代になったな~と感じます。

エンジニアの端くれとしては飯のタネが尽きないことは喜ばしいことですが、ちょっとモヤモヤしてることを書いてみます。

身の回りの持ち物の変化

ここ5年くらいはエンドユーザが使う道具はそんなに新しくなっていないように感じちます。

  • スマホ:新しい機種が出て「8コアが~」とか「カメラが○○万画素」とか言うけど、スマホの使い方自体はそんなに変わってない
  • 電子マネー:普及してきたけど、ユーザにとってはテレホンカード(死語?)みたいなプリペイドカードが使い勝手がよくなったくらいじゃないかな、と感じる。
    (裏では色々なデータが収集され、商売のタネになっているのですが…)

もっと例は挙げられそうですが、僕らが使うもので劇的に新しくなったものが浮かばない。使うものを構成したり、作ったりする何かは劇的に変わってるのに何故だろう?と思うのです。

「ヒト」の壁は厚い

「見たこともないモノ」って使う側にとってはそんなに魅力的ではなく、むしろ胡散臭く見えるんじゃないかな?と推測しますし、作る側にとっても「想像できないものを作る」ということはあまり楽しくない気がします。

ドラえもんのように「あんなこといいな、できたらいいな」を実現してくれるものが一番魅力的だと思いませんか?今の技術は全てその心理を叶えてお金を稼いでいるといっても過言ではないと考えます。

もちろん、数学とか物理、医学の最先端の「想像できないもの」は未来を作る礎となる世界ですが、分かりにくいし手っ取り早くお金に変えにくいからお金を出し渋られる。昨今の科研費でよく議論になるパターンのやつです。

どんなに技術が発達しようが、人工知能がすごいことになろうが、「ヒトが理解しにくいもの」は多分そんなに普及しないと思います。誰も欲しがらないのですから。

ヒトあってこその技術

思えば、技術は「ヒトの繋がり」を通して発展してきたように思います。

  • 乗り物は遠くの誰かに会うために高速化し、快適化されていること
  • 電話もインターネットも「ヒトをつなぐ」手段であること
  • インターネットのつながりが、ヒトの知識や経験を時間や場所を越えて共有する手段となっていること
  • 「ヒトの経験が共有された結果」が、現在の「人工知能」と呼ばれる技術につながっていること

上記から推測するに、これから技術がどう発展していくかは、これからの「ヒトの在り方」にかかっていると僕は考えるのです。

また、今までの技術は「ヒトの問題を解決すること」に重きを置いていたようにも思います。ところが、思いつく問題が大概解決可能となってしまった昨今、エンジニアは「何を実現すればいいのか?」という迷いに直面しているようにも感じています。

原点回帰

「ヒトの在り方」について考えてきた学問こそが哲学であると僕は考えています。

色々なことができるようになって、色々なことを知ることができる。だけど、僕らが生きる時間と使える資源(≒お金や能力)は限られています。どんなにコンピュータや人工知能と呼ばれる技術が進化しても、これだけは今のところ変えることができないはずです。

  • 何に価値を置くか?
  • ヒトの豊かさとは何か?
  • 安全・安心とは何か?

このような問いに答える為には、技術者は哲学者であってもいいと思うのです。

また、歴史的にも科学技術は実証主義という哲学から生まれ、現在も変わることなく科学技術の基礎であり続けています。

「技術がヒトを豊かにする未来」を願うからこそ、原点に還って「ヒトの豊かさ」についてじっくり考えてみたい。

そんな気持ちが「今こそ哲学なんじゃない?」という考えにつながっているように思うのでした。