「休もう」
「自分の思い入れがあることを中断する」ということはとてもつらく、苦しい決断だと身を以て感じた経験があります。
だからこそ言いたい。
「休もう」
ネットの世界は「ライフハック」という名の人生の効率化についての話題と、主観に基づく「他人への批判」であふれているように感じます。
「休む」ということを最も深く考え苦しんでいるのは、他ならぬご自身だと僕は考えます。
理由や事柄にかかわらず「休む」とか「やめる」、「変える」という決断はとても勇気がいるし、迷い考え抜いた末の結論であることが多いように思います。
世界は人に「勤勉さ」や「努力」、「献身的であること」を求めます。
しかし、それに対する報酬を得ることができる人は限られているようです。
自分を守る最後の砦は自分自身であり、自分を留め置いたり、自分を前へ押し出したりした結果を引き受けるのも自分自身だと考えます。
発破をかけた周囲は自分に降りかかる結果を一緒に背負ってくれることは稀です。
(もし、一緒に背負ってくれる人がいるなら大切にしてください)
だからこそ、「休もう」と僕は言いたい。
今休むことが未来の自分への投資、今までの自分へのいたわりだと信じて。
今日一日、今の一時間。
休もうよ。
休むといっても安静にしている必要はない。
自分が今やりたいこと、欲しいものに耳をすませて聞いてあげてほしい。
たとえ、そのことを誰か(とても信頼している人だとしても)が批判するのなら、
「ああ、自分の力不足ですよ、すいませんねえ」
くらいに受け流してほしい。
ここで書くほど容易いことではないことは理解しているつもりです。
でも、自分を支え、奮い立たせるのは他ならぬ自分自身だと僕は学びました。
こんな僕からあふれ出たこの文章が誰かのお役に立てるのであれば、「あふれもの」冥利に尽きるという気持ちがします。