あふれもの日記

日々浮かんでは消えていく思考を綴っていく

「父親と息子の最後」について

今年、僕の父が亡くなった。

 

稀に見る進行の早い癌とのことだった。ホスピスの医師から説明を受けた時に告げられた最悪の余命は「一晩」だった。

その説明の一週間後の深夜、眠るように父は息を引き取った。癌の告知から2ヶ月も経っていなかった。

 

癌の治療中止の知らせを受けて、急遽仕事を休んで父の見舞いに行った。

病室のドアを開ける時、僕は怖かった。

弱りきった父の姿を受け入れる自信が全くなかったからだ。

 

ドアの向こうにいた父の姿は変わり果てていたけれど、何とか受け入れられるものだった。

そして、父はいつもと変わらず気ままに振る舞い、僕の心を少し軽くしてくれた。

むしろ、その横にいた憔悴しきった母と妹の方が心配になったくらいだった。

癌も父の頑固な性根を変えることはできなかったようだ。

 

気管切開された父は喋れなかったけれど、口の動きからはっきりと言葉を読み取れた。唇の動きに合わせて、かつての父の声が脳内で再生されるような感覚だった。

 

僕が見舞いを終え帰宅する日。

父の病室から帰る間際に、僕は突然仕事のことを父に話したくなった。(僕は父と同じ業界で働いている)

次期プロジェクトのことを父に話した。

父の死を覚悟した僕は、過去を懐かしむより未来のことを父と話したかったんだと今になって思う。

僕の話を楽しそうに聞いていた父の表情をよく覚えている。

僕が話し終えた時、父は「頼むな」と応えた。

それはただの唇の動きで、声にはならなかったけど、確かにそう言った。(と、僕は信じる)

それが僕と父の最後の会話になった。

 

父が亡くなってから半年以上が経った。

 

色々あって僕は転職し、新しい職場に悪戦苦闘しながらも日々をこなしている。

父の葬儀から一度も実家に帰っていないし、父に話したプロジェクトにもいない。

 

親不孝に感じる気持ちもあるし、最後の会話から色々と予定も狂った。

 

でも、そこら辺は「お互い様」ってことで。

「それとこれとは違う」という親父の声が聞こえるような気がするけどね。