あふれもの日記

日々浮かんでは消えていく思考を綴っていく

「相撲の春巡業での出来事」に思うこと

はじめに

普段ニュースを見ないのですが、Twitterで多数の方が言及されていたのを見て今回の春巡業での出来事を知りました。

倒れられた舞鶴市長さんがくも膜下出血だったとのことで、一命を取り止められたことを本当に良かったですし、今後のご快復をお祈りしたいと思います。

 

ただ、今回の出来事で色々と感じることがあり、頭の中を整理する為にブログに書くことにしました。

 

今回の出来事を考察しようとした時に、過去からの経緯も含めややこしくなってるな、と個人的に感じました。

僕が捉えた今回の出来事の論点は下記の通りです。

  1. 体調急変時の救急措置判断の難しさ
  2. イベントにおける危機管理
  3. 大相撲の土俵での女人禁制の正当性

順番に考察を述べさせていただきます。

 

1. 体調急変時の救急措置判断の難しさ

 目の前で人がいきなり倒れた時、「何故倒れたのか?救急措置は必要か?」を判断するには医療や救急措置に関する知識と経験が必要でしょう。

 人が倒れる原因として「貧血」と「熱中症」、「てんかん等の発作」がよく知られているところです。熱中症を疑う状況でなければ、危険な状況でも「緊張で貧血になったかな」くらいで措置がとられないケースもあろうかと推測します。偏見を覚悟で書くと、年輩の男性ほどこの傾向が強いと感じています。「周囲の男性は何もしなかった」という論説を見るに、上記の思考が働いたと僕は推測します。

 また、救急措置自体が非常に大がかりなので、大したことがなかった場合に「大袈裟に騒いだ」という非難が個人的には怖いです。

 とっさの判断、ましてや人命に関わる判断をするというのはとても勇気がいることであり、今回の看護士さんの行動には敬意を表したいと思います。

 

2. イベントにおける危機管理

 今回の巡業では、主催者は日本相撲協会にお願いをして来てもらっている立場だと推測します。そのような立場では相手側の事情や要望を出来る限り尊重しなければならないという思考が働くでしょう。

 場内アナウンスを担当されていた方が現場の状況、事の重大さをきちんと認識できているか曖昧な状況の中で、とっさに相撲の「伝統」のことが頭を埋め尽くしたことでしょう。

 万が一に備えた医療者の確保や連絡・判断・指示の事前の準備の不十分さが今回の対応につながったのであり、巡業に限らずイベントにおける危機管理の教訓と活かされることを望みます。

 

3. 大相撲の土俵での女人禁制の正当性

 これは、2000年に当時大阪府知事太田房江さんが大阪場所で賜杯を贈呈したいと依頼したのを日本相撲協会側が断った辺りから、ちょくちょく問題提起される論点です。

 男女平等という観点からの女人禁制への反発とそれらへの反論で度々議論されているのを見かけます。

 個人的には時代の流れにあわせて伝統を変えることも必要だと感じますが、「相撲の土俵に女性が上れるようになれる意義」とか「誰がどれだけの恩恵を得られるのか」とかがイマイチよく理解できていません。

  むっちゃ怒られそうですが、「『土俵云々』から得られるものが少な過ぎて、もっと優先すべきことがあるんじゃないの?」というのが率直な感想です。

 男性の医療者が足りなくて、女性の医療者に土俵で処置できるようにしないと、力士・関係者の安全が確保できないとか明確な理由があるなら分かります。

(今回の春巡業では恐らくそもそも医療者が待機していなかったと推測されるので、このケースに当てはまらないと考えています)

「男女平等を実現した」という記念碑的な意義が大きすぎるように感じるのです。

 

最後に

 日本では明治以来「男女平等」を達成する為に様々な方が奮闘されてきた歴史があり、21世紀になってもなお「男女平等」が達成されたとは言い難い現状があります。

 一方で「男女平等」を声高に訴える論説を読んだときに、現代の多様なジェンダーが見落とされていないか不安になります。最近では「LGBTQ+」と呼称されるほど個人の「性」が多様化しています。

 今回の出来事を機に、

「目の前で人が倒れたときに何ができるのか?」

「人が集まる場所の危機管理の考え方は?」

「男女平等ってどういう姿が皆にとってハッピーなんだろう?」

「多様なジェンダーが共存し、ハッピーになれる世界ってどんな姿だろう?」

 

等々、色々な考えがあふれるのでした。